元気なうちに推しの話します。
昨日日付超える前に寝たからか元気。
ご存知の通り最近は松平健とちいかわに忙しい。
今日はこの2つについて元気なので語りたい。
まず松平健。
以前紅白でスケボーに乗って登場した時に完全に心奪われた。
リアルタイムで見てた人はわかってくれると思うが、齢60後半のおじいちゃんがスケボーで爆走する演出がまず面白いのにも関わらず「俺、おもろいやろ?」感がない。皆無。
大真面目にスケボーに乗って、大真面目に「叩けボン〜ゴ♪」と歌い出すのだ。
絶対に笑ってしまうような場面でも大真面目に仕事をやり通す。
プロすぎる。
それが私の松平健…いやケン様もとい黄金のサンバに狂いしオンナへの第一歩であった。
以後ひょんなとこから職場で顧客にマツケンサンバIIをレクチャーすることになり振り付けを全部覚えた。
そしてカラオケスナックで踊ったらウケが良かった。
カラオケスナックは私のような人と関わりたい癖に相手に伝わる話し方を心得ていないコミュ障を、ただ歌い踊るだけでおもしれえ女と誤認し、親しんでもらえる優しい社交場なのでお酒が飲める人にはオススメ。
話が逸れたが、ケン様は老若男女に大人気なのでケン様のおかげで人間関係が円滑なったのだ。
4月に職場を転勤し、顧客たちに公表した後はお昼の放送でマツケンサンバIIを流してもらえるという厚遇も受けた。
『ABARENBO SHOGUN』と書かれたパーカーをしれっと着用していたため職場周辺の人物にもなんだか認識してもらっている。
5月には直にケン様の舞台へ行った。
お芝居の後のコンサートはそれは至高のエンターテインメントだった。全てが輝いていて「夢のように時は過ぎて弾む南の恋の夜」だった。その際にサンバ棒型ペンライトとアクスタを購入した。以後カラオケに行く予定があれば持参するくらいには使っている。
それと、若きケン様のお姿もうっとりするほどハンサムなのも得点が高い。リアルタイムだったらもっと限界オタクになっていたかもしれない。
今のご年齢のケン様に出会えたのが私にとってはとてもベストで、例えば俳優やアイドル界隈の古参のファンのいざこざやグッズ回収などのそういう話はもはや、私にとっては遥かに長い時を応援してきたマダムたち相手に張り合おうなどとは到底思えないし諦めがつくものである。
またケン様は2度も結婚をされて、お子様もいらっしゃるので今更熱愛報道が出たとて動揺も起きず。
ある意味とても健康的な推し活というのをさせてもらっている。
マツケンコラボカフェの抽選に惨敗した時は気が狂いそうだったが。
そんなわけで、ケン様への感謝と尊敬の念が止まないこれまでである。
次にちいかわ。
もともと友達がハマってて、そんな中ピッコマで単行本一巻無料だったの読んでそこから電子で全巻買ったあと夏休みにアマプラでイッキ見して紙の特典版も全巻買った。
推しはハチワレ。
なんでもポジティブなのが良い。
ちいかわの言いたいこととか代弁してる感じするけど読み返したらそうでも無い気がする。
笑うと牙がチラ見えするとこと、ちょっとサイコパスなとこが好き。
ちいかわとの友情にヒビ入りそうになると悩んで泣いちゃうとこが尊い。
うさぎとはちいかわ通じてだからか友情うすそうな感じがあって、それがよりハチワレのちいかわへの想いみたいなのが色濃く出てる。
ハチワレのちいかわへのクソデカ矢印ほんま悶絶する。
私は元から「両思いだが片方がクソデカ矢印を向けているコンビ」が好きなんだ。こんなの、好きやん…。
ちいかわとハチワレが草むしり検定を一緒に受けてハチワレだけ受かった時の「同じ気持ちじゃないとき、どうしたらいいんだろ…」ってとこで私は「はい、じゃああなたはどうする?」って道徳の授業とかで聞いて回りたい。もはや道徳はちいかわ。
あと、異動先の職場は私と近い世代の同性の同僚が多く、彼女たちとよく昼食をコンビニやスーパーで一緒に調達するのだが、その度に彼女たちはサンリオなどのお菓子付き玩具を買うので、ちいかわにどっぷりハマった今はそういうのも楽しい。ただちいかわグッズは結構品薄。競争率も高い。そこまで高いと諦めもつくものだ。
(犬飼澄晴以外の)推しは推せる時に推せる範囲で推せをモットーに生きてるので私の推し活は気楽なものである。
ちなみに犬飼澄晴は相変わらずアクスタのみ回収している。今の職場は監査があるため机の上に飾ることは出来ないが監査が終われば一体ずつ増やしていく予定。(管理職の斜め前の席だが)
ではそろそろこの辺で失礼します。
ビターンッ
ツラツラと気が向いたら書きますスタイルの、気が向くまでがまあ長いこと。
昔の記事の恥ずかしいというか、痛いところをゴリゴリ削ってました。
もういい歳したアラサーなんだよねこっちは…とか言いながら今もこうして黒歴史作ってるやんね。
大分、趣味嗜好思考も変わってきました。
人間関係もそうですが、コロナ禍ちょっと前に職場変わったし。そこは指導をする側の人間が必要なところなのでなんというか、良い人間のお手本みたいなのが必要というか。ダルいけど。
でももともとマスト思考、「こうあるべき」というカチカチ頭なので向いてる感じでした。
というか、低能力のくせにカチカチ頭で想定外のことが起きるとパニックか固まるので、ミスった時に優しくフォローしてくれる人間の多い職場だから続いてるんだと思います。
感謝。
それでも前職、前前職よりは面白おかしくやってます。
前職もそりゃ面白おかしくやってたけど、カチカチ頭には向いてなかったし、福利厚生とかも全然違うし、専門的知識必要だからやりがいあるもんなあ。
やればやるだけ返って来るやりがい搾取現場ですが〜
そして人とそこそこ向き合う、分析をする感じなので感情の勉強をしてます。
私、自分で思ってる以上に薄情なやつだったみたいで、人の心取り戻す運命になりました。
性格はやがて運命になるそうです。
身近にいる人を沢山傷つけてしまって、それは今までのことが招いてしまっているんだなと絶望したりもしてます。
でも朝は来るしお腹は減るしなかなか死ねないのでできることコツコツやるしかないです。
生きて生き抜いて全うするのが責任だと思う。
よく、逃げる人を見るのですが、気づいて立ち向かわないと変わらないんです。
むしろ追いかけてくるスピードは早くなっていくし、質量はどんどん重たくなっていくばかりだし、助けてくれる人数も減って負担が増えます。
それならたくさん助けてくれる人がいる中で受け止められる速度と重さで立ち向かった方がいいと思うんですが、なかなか出来ない人の方が多いですよね。
どうにも変えられない。変えようとするなんて烏滸がましいですが、変えてあげたいと思うのが性です。
なんでも、やることやってあとはお祈りしかないなあ〜
令和だよ!犬飼澄晴!!
どうも、とまとです。
また性懲りも無く例のアレをシコシコと生み出しました。
と言っても前回から4ページほどしか進んでません。ネタ切れです笑
とくに後半は何か有意義なこと言ってるかっていうとそんなことは無く
ただの私の個人的な心の声も備忘録に紛れ込んでしまってる感じです。
(段々線引きが曖昧になってきました)
途中某ラップバトルやらソシャ劇団やらにうつつを抜かしていたのですが
現在はどちらも長続きすることなくただひたすらに犬飼澄晴です(あとちょっとジョジョ)
なんてったって本誌再開したもんね!!!
某灰男のマンガ並に数年単位でしか拝めないのかと思っていたけれど、本当に良かった…
先生にはこれからも本当に体に無理なく連載続けていって欲しいです。
平成に鳩原を置いていくのかよ!犬飼澄晴!!
(置いていかれたのは犬飼澄晴なんだけれども)
それでは興味のある方はぜひどうぞ〜!!
⬇
スペシャルサンクス
(お名前頂戴しちゃってます。敬称略)
みるきー、アリサちゃん、イオン、るちんこ、なぽ氏、かとくま
わたしグランプリ堂々の一位はわたしに決まってるやろがい
こんばんは。とまとです
すっかり犬飼澄晴PDFを発表するだけのブログになってきていますね
いやいや全然そんな意図はないんですけども〜〜〜〜〜〜〜!
無職になって書類上は1ヶ月になりました。
実質2ヶ月くらいお暇してますが。
いまはひょんなとこから声をかけていただいたところでアルバイトしてます。
身辺整理ふくめ転職活動中(アホほどサボってる)
みんな優しいので触れない人もいればやんわり進捗を聞いてくる人も。
まあ生来から傾聴する能力に欠けているのでマイペーーーーーーーーースです。
自己PRって何書いたらええねん。まあ面接ではそこ触れんからええで。あ、そーなん。なんで働きたいかが聞きたいしな。業界の勉強したいとかそんなん。ああなるほど。+御社の特徴あげといたらええんちゃう?せやな。あとdisっとこ。口悪いな、欠点探して自分やったらこんなんするみたいな例あげるとかしたらええねん。せやな。面接慣れしとこな。まあしゃべるの嫌いじゃないしな。口悪いけどな。そこな。
あ、脳内会議してた。すまんすまん
日付変わってるけど今日、前の会社の同期と飲んでたんですけど
次同期の誕生日あたりになにか報告できるように動きたいね。
11月29日だったかな。いい肉の日
ちょうど12月前やしな。今年中になんとかしたいね。
雑記なんでとりとめもなくどばーーーーーーーーーーーっと書くんですけど
そんな気分なのでええ。
人生って変わるよね。いい意味でも悪い意味でも
悪い意味に変えたい人なんてまあそうそういないと思うがな。
いい方向に向かいたい一心で奔走して踏み外すとか。たいてい楽して変えようとして転落。どぼん。極端にいうとウシジマくん!みたいな
自分を愛してくれる人の分母を安易に増やそうとするからだと思われる〜〜〜〜
こないだ自分の記事読み返してイタさにそれなりのダメージ受けつつも
人生ってそれなりに双六的なことを言うててせやなってなった
二転、三転、暗転もしますとももも
人のせいにすな!と皆言いますがいい時は人のせいにすな言いませんよね〜
私、結構ここ3年くらいいろんな人との出会いで見方やら考え変わったような
・容姿を芋から普通の人レベルに
→関わる人間からの扱いと選択によって自分を粗末にしないように
・自発的に他人の力を借りるようになった
→一人で抱え込んで精神破綻しないようにするため
・でも人に期待しなくなった
→依存せず自立するため
・いさぎよく無職
→自発的に辞める行動力とそれに伴い発生する出来事の処理能力をつけるのが狙い
最後のやつは現進でトレーニング中…
よく流れてしまうけど、ちゃんと自分で選択するのが大事よなあ。
長いものに巻かれていい時とあかん時の見極めって難しいけど
迷ったら面倒な方を選んだほうがいいと思った。楽なことは後でもできる。
自分は粘土で様々な人に雑に丁寧に優しく乱暴にこねられたり粘土足されたりして何かが入る器が出来上がる感じ。人の数だけキャパ増えると思う。
完成目標は花瓶がいいので花瓶とする。大きければ大きいほど大輪を飾れる人生かなと
皿とかでもいいな。新宿のアサシンの刺青みたいな綺麗な絵を描いて飾られてもいいし、大家族の食卓の中心でもええわ。
喩える話をよくするなと我ながら思います。詩人かよ。そんなええもんではないやろわはは
気が済んだのでここで終わっときます。
たぶん次に読む自分のための備忘録って感じですな〜〜〜〜
犬飼澄晴沼1周年記念
あ、あけましておめでとう……(遅)
年明け一発目がこの記事になるとは思わなんだ。
というのも昨日2月14日、世間はバレンタインデーだったと思うんですけど
私的には犬飼澄晴にドボンしてちょうど1年になる日でした。
去年の土日慰安旅行からの帰り梅田に寄って適当に一人でぶらぶらして帰ろーとしたらみるきーが反応して来てきてほな合致して遊ぶか〜ってなっていつも通り遊んでたら秋あたりから一生懸命してきたワートリの布教を隙あらばしてくる。この時点では好みの子がいなくて話半分に聞いてたんですよ(サイテー)
というかクソみたいな人格で本当に申し訳ないし、よくここまで付き合ってくれてるなって毎度思うんですけど前日の旅行であんま寝てなかったのもあって意識が飛びそうになってた(ほんまサイテー)
そこにみるきーが半ばヤケクソで二宮隊をプレゼンしてきてそこの端っこくらいに載ってる犬飼澄晴を見てバチッと一瞬で目が覚めました(現金)
「待ってこの子誰!?!!??」とか言った気がします。いきなり食いついてきたからかみるきーがやや引いてた気もする
そっからなんの知識もないのにpixivでワーッと犬飼澄晴関連を検索して辻犬とかでムフムフしてたし、しっかり原作読んでから考察したかったからその次の週の介護等体験の実習に入る前にと漫喫寄ってワートリブワーっとぶっ通しで読んでた(漫喫初利用だった気がする)
んで実習の行きと帰りのバスの中で犬飼澄晴に思いを馳せながらツイートする日々
この後の三月頃になんとなく霧野の考察やらなんやらはどこまで到達してどこまで決着が付いたのかわからなくなったのもあって、今後も使えそうな有益な関連ツイートは形に残るものにして見返せるようにと呟きを個人的にかなり自己満足なものですがまとめてました。
基本自分の嗜好に偏ったものやメモみたいなものなので合わないなと思ったらスルーしてもらえたらなっと
ちなみに文字数はこんな感じ
水飲み鳥はトロイメライの繭の中
メリバホモ本に付けたいタイトルその2
いやほんといつ何で出すんだよって感じだけど言うだけならタダやからね。ええ!
突然ですがピンク髪が好きです。
好きな分こだわりが強すぎてなかなかこれ!っていうピンク髪キャラがいませんが。
その私の厳しいピンク髪判定を切り抜けその他の性癖ラインも見事にすり抜け君臨したキャラクターがいます。
そうです、私と長年付き合ってる人はご存知の霧野蘭丸です。
もうなんかイナGOは終わったというのにかれこれ5年くらい霧野霧野って言ってます
今日は文化の日なので私の文化の一つである霧野について語りたいと思います
霧野という理想の2次元を見つけてしまってからは、どんなに魅力的なキャラでもときめいても結局最後は霧野に戻ってきます
実家のような安心感もあるので、霧野は実家という説が出ていました
しかし霧野から生まれている訳では無いので結論、霧野は私にとって墓で落ち着きました
霧野以外でも言えることなのですが、本当に好きなものについては自分の思想を穢したくないし、害悪と交流をして嫌な思いしてキャラが嫌いになることを防ぎたいという、根本から鎖国して自分の解釈を広げるだけ広げるという傾向があります
今もですが当時、霧野はイナGOキャラの中で明らかな人気キャラで大手ジャンルに湧きがちな一定数のイナゴ腐女子など害悪な同担との交流を未然に防ぐために鎖国していました
鎖国はしていたものの、別に隠すつもりはなかったのですが知ってほしいとも思っていなかったので当時のブログでは散々騒いでいたものの、Twitterではおおっぴらに霧野が好きであると公言していませんでした
霧野から繋がったという人は一切いませんでしたが、霧野ばかり描いているので身内や私と少しでも関わったことのある人には言わずとも知れていたため孤独を感じることはなく、そのおかげですくすくと育てることができました
とにかく人との関わりがきっかけでそのキャラを見る度に辛くなる、というのは嫌という心理が働いた結果隠れキリシタンならぬ隠れ霧シタンとして生きていました
隠れ霧シタンとして誕生日ではないのでクリスマスまでとはいきませんが年に一度やってくる3月3日の桃の節句を自分の中で霧野の背番号が並び、霧野の髪色の桃色と少女のような容姿だからという無理矢理なこじつけから霧野の日として設定しました
その日に霧野を独自で解釈し、拗らせ過ぎたブログ記事を更新することもありました
そうして霧野は私という国に慣習を授ける文化の一つとなっていました
霧野は文化であり墓です。つまり仏壇
最近は霧野が男でも女でもなんでもいいとさえも思ったりします。もちろん美丈夫であったから好きになったのですが
実際メディアを通じて彼の姿を見ずに何年経ったのか…、もはや概念として生きています
霧野は推しとかそういう次元じゃなくなりました
女体化パロディで、霧野は女になったら胸はないし髪も短くて性別と容姿が一致しないのがいいとか
パンツを履くならば彼はふんどしが一番似合うとかそういうお遊びはします
霧野のエロは見れるのですが腐女子的興奮は感じないので積極的に見ようと思わなくなりました。
カップリングも霧野は神童が好きだけど私はそこに腐的な意味はあまり持ってないです。実は神童や狩屋以外に霧野関係で推しているカップリングがあって、ふとした時に妄想が降りてくるのですが周りに同士がいないこともあって回数は明らかに減っています。
別に地雷はないです。実際蘭マサを好んで見ていた時期もあるし、妄想もしたし、他の方が作った本も購入して感動したこともあります。それはそれで素晴らしいと思ってます。
かといってそれほどまでに蘭拓がとことん好きと言われると違う、逆も然り
霧野は神童とつながろうとも思ってないし、他の関係も私の中で発展しません。これは霧野・神童初登場時からあります。
フィフスセクターに逆らって内申が悪くなるとかどうでもいいって言い切っちゃうぐらいに神童の力になろうとするくらいだけど、あくまで自分の中では霧野と神童は交じることのできない関係だと思ってる。
彼らは一生友達以上だけれど、きっとずっとそのまま。
霧野から神童へ向ける想いに代名詞をつけるならば、それは恋情じゃなくて愛情で想ってるっていうのがポイント。
霧野は神童に執着しているけど、自分より神童の幸せしか祈ってないんです。
おそらく神童に恋人が出来て結婚とかしても、快くスピーチをして式が終わって家に帰るか帰り道とかにポロっと涙を流して「あれ?俺、なんで泣いてるんだろう?」と涙を拭く。
アーティファクトでへその緒使って神童がこの世に生を受けた日にまでタイムジャンプする執着心は(あくまで私の中では)あるのに恋心にまでは気づかないなんて、めちゃくちゃ矛盾してるけど霧野ってそれぐらい変わってる。当の神童が「俺はお前に幸せになってほしいと思ってる」と他人が聞いたら激怒するようなこと言っても霧野は神童がそういうならって、神童の願望のために幸せになろうと迷走したりします
狩屋マサキは「それはおかしい!」と唯一指摘することができる、霧野にヒントを与える役目を持った存在だと思います。霧野がハッと気づける言葉をかけれるんだと思います。それでも神童が結婚して5年目くらいなんですけど
狩屋も霧野に救われて以来霧野の幸せを神童よりも願ってると思いますが、狩屋は辛抱強くて付き合いがいい分、その幸せには自分も含まれていないと抵抗します。でもそれが普通なんですよ。霧野が何も望まなさすぎるんです
なので「俺、お前となら幸せになれるよ」って狩屋に言えて初めて神童への執着心から解放されて第二の人生が始まって新たに動き出せるルートも仮にあってもいいとは思います。ですが私の中での霧野の存在意義は神童拓人が安心して前に進めるように守り繋ぐことだと考えているため、神童が生きて歩んだ証を死ぬまで誰よりも強く肯定し続けます。幸福の王子のツバメでしょうね。
こうして霧野個人の妄想の際に他のキャラを出してくることはありますが、あくまで霧野の生き様を考えて受けた影響の大きさから神童や狩屋が出てくるだけです
霧野は私の理想の2次元で誰にも敵わないし、同じ土俵に入ることも出来ません。その絶対の裏付けは高校2年の時から遅筆でなかなか筆を取らない私がこれまでに多く描いてきた版権キャラがダントツで霧野だったからだと思います。あんなに描きやすい子はいないです。
霧野を描いている今この時は私が霧野に生を拘束されて霧野のためだけに生きている、霧野を描いている時の自分は霧野のために存在している……と、霧野に生かされていると霧野を描くたびに毎度思えます。描けば描くほどインクと愛が染みていきます。霧野のときだけそう思ってしまうので不思議ですね。
そういえば最近、ようやく3年間程聴くのが怖すぎて避けて通っていた霧野のキャラソンを聴きました。「B.E.R.E.E.V.E.」
タイトルすらも把握していなかったのですが、見た瞬間胸が熱くなりました。
彼の信条として掲げてたものが「信じる」なんですよ。
イナクロの21話で散々ジャンヌに言ってた事だったんですけど、でもこれはその中で取り急ぎ決まったことではなくて最初は天馬を信じる神童を信じるところから始まって、そこから自分を陥れようとしていた狩屋を信じ続けたこと、1期からその姿を見せ続けてたってことをきちんと踏まえた上でのジャンヌに対しての呼びかけだったんだなってまたアニメ見直してキャラソンを聴いて感じました。
私自身も「信じる」を信条にした星の元に生まれてるらしいので知らないうちに共鳴したのか、私はあの時涙を流せたんだと思います。
私は霧野に対してこちらにこうして欲しいというような見返りや要望は特にありません。こうだったら面白いなという妄想はよくしますけれど。
ただ霧野蘭丸が霧野蘭丸であり続けることが私にとっての最大の幸福だなと振り返って実感します。
霧野蘭丸を追いかけていた頃が1番楽しくて、霧野蘭丸を追いかけていたから今の楽しさがある。
霧野はそれまでの私のキャラクターへの愛し方を纏め上げた原点であることはこれまでもこれからも変わることはないです。
友達を大切にする気持ちを忘れずにいる優しい霧野蘭丸
恵まれた容姿でありながらもそれをひけらかすことなく、自分の魅力を理解すらしていない要領の悪い不器用で遠回りな生き方をしているのに
それらに後悔せずに大切な人の幸せを笑顔で願い祈れる、その生き様が自分から逃げることなくきちんと向き合うその姿が、自分を陥れた他人ですら許して受け入れて、ありのままを肯定して信じ続ける心が、
一生の憧れで、一生好きでいれるのだと思います。